第一章
「伝統的な階層論における尺度は、存在論的なものだった(20頁)」
自然科学は「物質レベル(23頁)」という「ただ一つだけの存在論的地平にしか関わらない(24頁)」
[サルトル的な]実存主義思想は、自然科学的な世界観に置いて人間に場所を与えようとベストを尽くした思想である(25頁)
自然科学は「数」という道具立てを用いて、経験を数値化することで間主観的に検証可能なエビデンスを打ち立て(客観性)、そこから帰納的推論を行い(予想)、最終的に演繹的推論の体系の構築を目指す(制御)
自然科学の対象領域(数学的に表現可能なエネルギー=物質)はその方法論によって規定されているのであり、従ってそこから自然科学の限界を把握することが可能である。
具体的には、下記のものは自然科学で扱われ得ない。
- (規範的)価値
- 目的
- 人生の意味
- 質
自然科学は素晴らしいものであるが、「科学主義」は自然科学の対象領域がその方法論によって限定されていることを理解しておらず、従って誤りである。すなわち、「科学的真理以外の真理は存在しないという主張(38頁)」は成立しない。
第一章の感想
伝統的な階層論は専ら存在論的であったという記述を読んで、西洋哲学における存在論はこれまでontologischなものではなくontishなものであったというHeideggerの指摘が頭に浮かんだ。
そしてそこから、ontishな世界把握から非ontishな世界把握への転換には二パターンあるなと思った。
- Husserl的なGegenstand(超越的対象)からNoema(超越論的対象)ないしtranszendentales Bewusstsein(超越論的意識)への立ち返り
- 表層的な意識領域から深層的な意識領域への転換
上記の分類はヒューストン・スミスの「自然科学の対象とされ得ないもの」の分類でいうところの3(体験の意味)と4(質)にそれぞれ相当するのではないかと思う。
こうして並べてみると、Husserlの(静態的な)超越論的現象学よりHeideggerやHenryやMarionの方が深くね?って思った20世紀の人々の気持ちが結構分かる気がする。
科学主義批判についてはまぁそうだよねという印象。これについてはHusserlのKrisisで今生はもうお腹一杯…